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2020年5月21日木曜日

年をとったなりのやり方

中学生とか高校生のときに書き得たことがあって、毎日のようにそういうことを書いていて、今アーカイブとかから拾うと驚くほどにどうでも良くて、何一つ面白くなくて、何を思ってこんなことを書くべきことだと信じていたのか、と思うのだけど、その書いていたという事実だけでも非常に凄いことだなと思う。
それが億劫になったり、恥ずかしいと感じるようになってしまったのは、賢くなったと表現できるのかもしれないけど、明らかに自分というもののためには後退であったという気がする。成長ではなくて、明白に失ったものがなにかある。しかし取り返せないことでもない気がする。だから書いている。
自分が書くべきことなど何もなかった、と思ったことがあって、福満しげゆき先生の漫画にも、それは人の作ったものを自分のもののように感じていただけだ、とあった。それは多分正しくて、でもそこから導き出す結論っていうのは、だから自分のものではなかった、ではなくて、昔の自分は人のものを自分の体験のように感じる強い感性があった、ということなのではないかと思う。その感性さえあれば、今だって昔のように強い動機や、書くべき何かを取り戻すことはできるんではなかろうか。
もちろんそのまま感性を取り戻すというようなことは難しくても、注意深く研ぎ澄ますことで、世の出来事や、物語に共鳴する部分を見つけることはできるんじゃないだろうか。年をとったら、年をとったなりのやり方がある。