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2020年5月26日火曜日

緊張感

割と趣味とか興味の範囲が自分と近しい業種にうつってから、長らく忘れていたけど、もっと会社で喋るのには緊張感があったなと思い出した。工場とか、スーパーで働いているときは、同年代でも無ければ、まず普通に話が通じるかというか、その人にはどういう切り口で話せば話を聞いてもらえるかみたいなことを考えていた。
今の職場なら、ある程度理詰めで温和に喋ればそこまで失敗することもないけど、それはある程度同一の価値観の範囲内にいるからで、理屈なんぞ正しくても、いきなり喋りに来たからという理由だけで全く聞いてもらえなかったりとか、知らないやつだから聞いてもらえないとか(同じ会社の人でも)、そもそも理屈で喋るやつは気に食わないとか、そういうことは普通にある。これは良し悪しではなくて、ただ、ある。
私はコミュニケーションスキルが高い人間ではないから、そういう諸々はとても苦手ではあったけど、なんとなくそういう全く自分とは違う手順で行われるコミュニケーションみたいなものが、案外嫌いではなかったような気がする。
どういう理屈でこの人は物事を考えているのか、その理屈の中では自分はどんな風に見えてるのか、そういうことを考えながら喋るのは割に楽しいことであったような気すらする。その当時にそういう緊張感を楽しめていたかというと、ちょっと自信がないけど、今思い返せばそういうものも懐かしく感じる。

2020年5月22日金曜日

特になにもない

ちょっとなにか書くことを続けようと思って、何もなさに驚いている。ここまで何もないってこともあっただろうかという感じである。これは自分が老化してきているせいなのか、一日在宅勤務で気が散るということが少なすぎる生活をしているせいで、正面にある問題解決以外の何もできなくなっているのか、その両方なのか、驚くほどに何も思いついていない。
首都圏以外はもう緊急事態宣言も終わるそうで、このままちょっとした数ヶ月の停滞があっただけみたいに記憶されていくのか、それともこのあとも何度か揺り戻しのように都市が閉鎖されたりすることが続くのか、あるいはそれが習慣のようになった世界で生きてくのか、案外これ以上経済的に持ちこたえることは不可能になって、病気があることなんてどうだって良いことだと開き直って普通に生きていったりするのか、私には全然分からない。
しかし、生活というのは続くのだろうし、続くのであれば、ある種の陽気さとか、創作性でもって、楽しくやっていくことはできるんでないかな。

2020年5月21日木曜日

年をとったなりのやり方

中学生とか高校生のときに書き得たことがあって、毎日のようにそういうことを書いていて、今アーカイブとかから拾うと驚くほどにどうでも良くて、何一つ面白くなくて、何を思ってこんなことを書くべきことだと信じていたのか、と思うのだけど、その書いていたという事実だけでも非常に凄いことだなと思う。
それが億劫になったり、恥ずかしいと感じるようになってしまったのは、賢くなったと表現できるのかもしれないけど、明らかに自分というもののためには後退であったという気がする。成長ではなくて、明白に失ったものがなにかある。しかし取り返せないことでもない気がする。だから書いている。
自分が書くべきことなど何もなかった、と思ったことがあって、福満しげゆき先生の漫画にも、それは人の作ったものを自分のもののように感じていただけだ、とあった。それは多分正しくて、でもそこから導き出す結論っていうのは、だから自分のものではなかった、ではなくて、昔の自分は人のものを自分の体験のように感じる強い感性があった、ということなのではないかと思う。その感性さえあれば、今だって昔のように強い動機や、書くべき何かを取り戻すことはできるんではなかろうか。
もちろんそのまま感性を取り戻すというようなことは難しくても、注意深く研ぎ澄ますことで、世の出来事や、物語に共鳴する部分を見つけることはできるんじゃないだろうか。年をとったら、年をとったなりのやり方がある。

2020年5月19日火曜日

サンドボックス

雨降りが続いて気だるい。
長男の宿題も終わってしまって、とりあえず家にあった青い鳥文庫を読ましたりしている。私は言われなくても本を読む子供だったけど、長男は物語というものにあまり興味を示さない。子供というのは、驚くほど自分に似ているなという部分もあり、全然違う部分もある。兄弟ですら、興味を示す範囲が違うし、それは育った環境というよりは、生まれついて何かしらの形を持っているような感じがする。
最近はなにも手元にないような気持ちがずっとしている。サンドボックスゲームで、次にするべきことが何なのか検討もつかず、なんとなくゲームを辞めてしまうときのような感じ。こういう瞬間が人生には何度もあって、そのたびに色々なことをやめてきたけど、人生そのものはなんとなく続いていく。そうして、それでは駄目だろと思って、なにかを少しでも作りさえすれば少しは進むんじゃないかと思って、今度こそ自分にもなにかできるんじゃないかと思って、こうして文章を書いている。
今まで続けられたこともないけど、今度こそ続くんじゃないかと思って。


子供はとにかく物を作ることが好きで、ゲームが好きで、何かしら物を作ったりするゲーム感のある小説とかないのかな、と考えていた。SFなんかはそれっぽいものも多いけど、児童文学のSFはあまり良く知らないし、SFたるものにあんまり興味がありそうでもない。で、ちょうど見つけた。



ゲームだしクラフトだ。

2020年5月14日木曜日

真夏日

最高気温が30℃を超えると真夏日と言うそうで、そんなわけで連日真夏日である。
在宅勤務の最初の高揚感も過ぎて、今は普通に仕事をやってる。能率は相変わらず良い。
最初のうちは何かちょっと体痛い感じがするとか、キーボードのタイプの感触が変わってちょっと変な感じとかあったけど、それもなくなった。もはやただただ快適に仕事をしている。しかし快適であることへの感動が薄れてきた。これって在宅勤務終わったときのダルさみたいなの凄まじいことになんじゃないかと思って、今から戦々恐々としてる。
昼の休憩時にコンビニに行こうと思って家を出ると、満面の笑みで次男が裸足で家から駆け出して追いかけて来た。鍵を締めても灯油のポリタンクを押してきてよじ登って開けたりと妙に器用で困る。ちょっと家の外に世界があることを思い出すと、唐突に猛ダッシュで家から駆け出そうとするので、私自身も何度か裸足で全力ダッシュをする羽目になっている。
もっともあと一年もすれば、ここまでの天真爛漫な行動というのは消えてしまうのだろう。
これくらいの記憶は、本人すら覚えていないだろうし、我々夫婦だけが後生大事にもっていくのだ。

2020年5月11日月曜日

毎回こんな感じに夏が始まっている気がする

最初に就職したころも、まともに小説が書けるようになるまで一年近くかかったなと思いだしたりする。
子供が生まれてからこっち、あまり安定した余暇を確保した生活というものを持てなかったけど、どうにか最近少し慣れたかなと思ったら、未だかつて経験したことのないような在宅勤務だの、なんだのでもう作業どころかちょっとした部屋の模様替えすら落ち着いてできないような状況。そうして、そのような状況すらも、そろそろなにかしなきゃなというような気持ちになって来てはいる。
そうしてそれは、この生活の中でちょっとどうにかするとかじゃなくて、そもそもここ十年くらい本当にやりたいことを、信じられないような遅い速度でしか出来なかったこと全てに対する後悔みたいなものが、そろそろ限界に達しているのではないかというような感じもする。このまま思うような作業が出来ないままになってしまうみたいなことが、現実味を帯びる年齢になっている。
今日は真夏日だそうだけど、空調の効いた部屋に一日いると、どこか遠いところの話みたいに感じる。
次男は寝る時間になると寝室を抜け出して私の部屋に入ってくる。母に抱き上げられて寝室に戻るときに、Google nest miniとClova Friends mini(SALLY)におやすみを言った。