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2018年12月17日月曜日

日記、フラットホワイト、オールドブラッド、キン肉マン

ほんのちょっとのことでも面倒なもんで、ドルチェグストでも2つカプセル使ったり、ミルク入れたり、砂糖入れるのは鬱陶しかったりする。それで最近はフラットホワイトっていうカプセル1個で砂糖も入ってるラテばっかり飲んでる。楽で良い。


Wofenstein: The Old Bloodは新生ウルフェンシュタインの2作目にして前日譚で、ボリューム的にはDLCみたいな感じの作品だった。でもブラスコが再び強くて良い。なんせこのシリーズの一番好きなところは、デモ中でもブラスコがゲームプレイ中と同じくらいの強さであるってことで、つまりデモ中に至近距離から多少撃たれようがナイフで刺されようが全然死なない。ゲームプレイ中と同じく多少深呼吸したら体力も戻る。
だからいきなりデモ戦闘よろしく襲いかかってきた敵が多少ブラスコを刺し貫こうとも、あとで攻撃したブラスコの方が勝つ。4つ数えて、息を吸い、4つ数えて、息を吐く。回復。最強。

Wolfenstein: The Old Blood(英語版) [オンラインコード]
ベセスダ・ソフトワークス (2016-09-16)

キン肉マン(65)の見どころは、マリポーサの「サッ」ってところと、ペンチマンが出てくるところです。

キン肉マン 65 (ジャンプコミックスDIGITAL)
集英社 (2018-12-04)
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2018年11月25日日曜日

感じ悪い人が嫌いではない/鉄工所にも花が咲く

鉄工所にも花が咲く
鉄工所にも花が咲く
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太田出版 (2017-12-07)

思い返してみると、私は厄介なやつとか、感じが悪いとか、一種昔の職人ぽさを持ってる人ってものが好きで、それは、自分自身がそもそもコミュニケーションが上手だと感じていないことからの共感というか、似たような人だから付き合いやすいみたいなことなのかなと思っている。
ただ、割といい年のおっさんになってみて、現状を振り返ってみると、自分自身はそれなりに器用にやってこれてしまっていて、全然自分は職人ぽくないし、普通の一般的サラリーマンみたいな感じのものになった。
なので、かような小賢しさみたいなのを持たない孤高の人は美しい、と思う。ただ人生経験積んでみると、感じ悪い人は実は内心が優しいみたいなことが常に言えるわけじゃないこともわかる。感じ悪くて、内心は優しくて口下手な人もいるけど、感じ悪くて、内心も腐ってる人も普通にいる。というか、感じよくて、内心は腐ってる人より全然多い気がする。
とはいえ、やはり自分は感じ悪い側に立つのである。たぶん。

近況報告というか最近買ったもの

おっさんになってもう何年も立つので、漬物とか美味しくなってきた。
でもデジタル世代なので、アマゾンで野沢菜とか買ってた。

穂高観光食品 野沢菜がんこ 信州産 280g
穂高観光食品
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うまかった。うますぎて毎食食ってあっという間に消えた。
実際のとこ、それまでそんなに漬物食いでもないので、これがどれくらいにうまいとかは良くわからん。野沢菜はたいてい全部うまいのかもしれない。

福さ屋 めんたい辛子高菜 250g
福さ屋
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次はこれ買うつもり。高菜ってラーメン屋で食ったことしかないよな。



ノート買った。まだ届いてない。
ずっとノートは白紙を使ってたんだけど、前にもらった方眼のノートが思ったより使いやすかったので、いっかい方眼のやつにしてみるかと思った。

マルマン ノート スパイラルノート A5 方眼罫80枚 N247ES 5冊セット
マルマン(maruman)
売り上げランキング: 10,511

アイデアノートみたいなものだとよくバリバリ破るのでページごとに切れるやつがいい。

ノートって買ったら何か自分にも作れるんではないかと思って、次々買っちゃうんだけど、そんなことはないよなと思う。ペンも同じ。良い道具がないから作れないわけじゃなくて、作れないから作れないということを肝に銘じるべき。



外国のレビューが良いという記事を読んで気になってたやつ。
まあでも、10本も要らないし近所のイオンで買うと思う。
しかし買ってもどうせ何も作れやしない。



ビートマニアDJステーションPRO PS
コナミ (1999-01-31)
売り上げランキング: 13,365

高校くらいのとき、DJのゲームがあるらしい、と雑誌なんかを読んで知ったのだけど、田舎ではゲームセンターも近所になくて、ビートマニアを見る機会は無かった。その後PS版が発売されたんだけど、専用コントローラを買う金がなくて普通のPSコンでやることになった。でも20, novemberくらいまではなんとかクリアできた。

その後、専用コントローラーを買ったんだけど、なんせスクラッチ部がちゃちくてやりにくいよなーなんて文句ばっか言ってた。PRO版のほうはアーケードのやつに近そうだったけど、値段が更に高くて、普通のコントローラーすらやっとで買った自分に手の出るものじゃなかった。ただ今はもうおっさんだし、中古で2000円くらいだったので買った。
ついでにPS oneも買ったし、ビートマニア本体も、大半のアペンドディスクも買った。
全部で5000円くらいだったので、当時より出費が少ない。

ただ、腕はもう全然で大半の曲がクリアできない。液晶だから遅延があるとかもある気がするが、そもそも手が勝手に動いてないのでどうしようもない。ただ、やっていると時折、ぼんやりとたまり場だったあの部屋のことなんかが、意識せずに思い出されてくる。ずいぶん遠くに来たもんだなと思ったりする。

2018年10月21日日曜日

時間飛行士へのささやかな贈物

ディックが大好き、とか言いながらまだまだ読んだことがないものはたくさんあって、電子書籍で買えるのだなあと気づいて購入した。もともとディックの小説を読んでいたのはブラック企業で働いていた頃で、ほとんど古本で買い集めていたので、手に入らなかったものはそのまま読んでいなかった。
それで、どれが家にあったっけと思いながら本棚を眺めていたら、時間飛行士へのささやかな贈物、という短編集を見つけた。この表題作は一種の時間繰り返し物と言える作品で、そこまで有名ではないかもしれないけど、不思議と自分の心に残っている。

時間繰り返しものが好きだということもあるし、うんざりするような悲痛な決断をするほかない、というような話に強く共感することもあるのだけど、自分がどうもこの作品のことが忘れられないのは、なんとなくその時間繰り返しの軸の部分が良くわからんということにある気がする。話は自分たちが閉じた時間の環の中に居るかどうか、ということが非常に重要なこととして書かれているのだけど、どうしてそれに至るかよくわからない。
現在から、未来へ行って、また現在に戻ってくる、という時間旅行の話なのだけど、たとえば戻ってきた瞬間にタイムスリップの瞬間に巻き込まれるかも、みたいな説明があれば、なるほどと思うのだけど、そういうのもない。
ただ、時間飛行士たちは、なにか嵐の海の向こうにいる神様を恐れるように、自分たちがどう考えたって閉じた時間の環の中にいる、ということを怖がっていて、疲弊している。でも、自分たちが閉じた時間の環にいることはどうも知覚できないっぽい。
よくわからない。
たぶん過去にも自分は何回かよくわからないと思って読み返しているのだけど、今回読み返してみて、やはりよくわからなかった。何度読んでもそれについては書いてない。あとがきでディックが、時間旅行の時代になれば、それ独特の問題があるのでは、みたいなことをちょろっとだけ書いているから、現代からはよくわからない独特の問題として表現されているのかもしれない。

とはいえ、別にだめな作品というわけではなくて、むしろ好きな話である。
自分の葬式に参列する人々のイメージや、永遠に生き、永遠に死に向かう姿は、それがどういう理屈なのかはよくわからなくても鮮烈だ。マイノリティ・リポートでもそうなのだけど、どうしようもない運命の中で、最悪の選択を自らの手で決断しなければならないというのは、だいたいの決断から逃げてきた私にとっては、ひどく美しいものに映る。



ディック傑作集〈2〉時間飛行士へのささやかな贈物 (ハヤカワ文庫SF)
フィリップ・K. ディック
早川書房
売り上げランキング: 630,192

2018年10月12日金曜日

手を汚すことをいとわない

手を汚すことを気にしてはいけない、というのは別に犯罪とか社会的にダーティな話とかではなくて、ものを作ったり、何かしらの(本当の意味での)汚れ仕事をするときの話。
子供の頃は絵に色を塗ったり、粘土でなにか作ったりするのが好きではなくて、なぜだったかと考えてみると、手が汚れるのが嫌だった気がする。より厳密に言うと、ここが重要なのだけど、手を汚れないように気をつけなくてはいけないと思っていたのが、嫌だったのだ。

たとえば粘土に手で持って色を塗るときに、手を汚さず、キレイに塗ろう、というのは2つ同時に行う必要があり、不器用な私には難しかった。それをやろうとすると、キレイに塗れなかったり、手についたり、失敗したという気持ちになるばかりだった。
今も同じく不器用なのだけど、今は、全然汚れても構わないと思っているので、キレイに塗ることだけに集中できて、作業は簡単になるし、色を塗ることが大好きになった。手なんかあとで洗えばいいし、洗って落ちなくても何日かすれば消えるし、何も気にすることなどないのだと、いつかから思うようになっていた。

結局、自分は手が汚れるのが嫌だったのではなくて、手を汚してはいけないという風に考えているときに手を汚して、ミスしたと思うのが嫌だったんだと思う。そして手を汚さないというのは、案外難しいことであるように思う。それならば、手が汚れるのにそこまで拒否感がないなら、そこまで気にしなくて良いではないだろうか。

ということを、赤ん坊のおむつをかえて、おしりを拭いているときに再確認した。
赤ん坊のおしりをキレイにしつつ、自分の手も完全にクリーンに保つ、と思うから面倒くさいのだと思った。別に赤ん坊に触れるところでなければ、多少ついてもあとで洗えば良いんだから、とにかく赤ん坊のケツをピッカピカにすることが一番重要だ、と思ったら、一気におむつを変えるのが楽になった。



もっとも、賢い人は手袋をつけたりするのかもしれない。