毎日晩は皿を洗っている。特に妻に言われたとか、役割分担とか云々があるわけではないが、なんとなく少し前からやるようになった。自分にはそういう、特に何もなくとも唐突に何かをやり始めるところがあり、それが、自分の好きな部分である。
皿を洗うのは苦ではない。高校生の頃に肉屋で一年ほどアルバイトをしていて、掃除と皿洗いをほとんど毎日やっていた。肉屋の皿洗いはそれなりに重労働で、数百枚とかある金属製のトレイ、ミンサーの部品、スライサーの部品、巨大なまな板四枚を毎日洗わなくてはならない。血と油の匂いが体に染み付き、使い込まれた金属製のトレイはあちこちにささくれがありちょっと引っ掛けただけで出血した。それでも、さほど辛いとは思わなかった。単純労働を延々していると、頭がぼんやりとしてきて、延々と一日の出来事を反芻したり、空想に浸ったりしているうちに仕事は終わっていた。
毎日皿を洗ったりするのはそれ以来のことだけど、同じような感覚が蘇った。作業を始めると自分はすぐに思惟に落ち込んでいって、勝手に流れていく川のほとりに立っているようだ。しかもその傾向は学生時代より強いようにも感じる。その日の誰かの言葉が、シーンが、自分でもなぜかはわからぬままに再生されていく。あるいは、たとえばこのブログのようなものを書くことを考えていて、止めどもなく文章が頭の中でつぶやかれていく。
案外これは何かしらのセラピーのような効果でもあるのかもしれないと思ったりもする。昔は良く寝る前に同じような感覚に陥っていたが、社会人になって仕事が忙しくなると、布団に入ると同時に眠り込んでしまうので、自分を振り返る暇すらなかった。しかし皿を洗っていると、自動的に一日は振り返られていく。
それから、これはまあ単純に調子のいいときもあるので定かではないが、作業の進捗がマシになっているという気もする。ちょうど自分が作業を行える時間というのは、皿を洗ったあとになるのだけど、単純作業をして何かに打ち込める状態になってからであるためか、ついだらけてしまうようなことが減って、すぐに作業を始められるようになった。
いつまで続くかわからないが、せっかく始めたのだから、長いことやれるとよいなと思う。