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2016年10月17日月曜日

なぜ思いつくことと、思いつかないことがあるのか

色々ものを作ったり、考えたりすることをこれまでやってきて、上手くいって出来るようになったことも、かなり進めたのにどこかでやることができなくなったこともある。現在進行形で上手く行かないと思って苦戦しているようなこともある。
いろいろ作業法を考えたり、発想法の本を読んで試してみたりしてはみるが、根本的に解決されないこともある。ある分野はほとんど作業にも計画にも苦労しないのに、ある分野では全く上手くいかないというようなことが、自分の調子に関係なく存在する。
そういうのは、自分のものを考えるときのもっともベースになるイメージが間違っているのではないかと、最近ふと思った。

ファインマンのエピソードで、学生時代に心のなかで数字を数えながら朗読できる人と、できない人がいるというような話がでてくる。ファインマンはできない方に属するので、最初はできると言う人を信じられずやってみてもらうと、なるほど問題なく両立する人が一定いることがわかる。それで不思議に思って詳しく聞くと、出来る人は数字を数えるときにそもそも視覚的に、目盛りを見つめるようなイメージを浮かべて数えているという。だから朗読と両立しても問題がない。そうでない側は、数字は心の中で声を出して「いち、にい、さん・・・」とやっているので、朗読しようとすると邪魔して数字を数えられない。という話だ。

そういうような、その人が意識せずに採用している根本的な物事を考えるイメージというものが、できるできないに大きく影響しているのではないか。あるいは、そういうものが、例えばどれだけ教えてもプログラミングができるようにならないとか、絵が描けるようにならないとか、そういうことの差になっているのではないだろうか。もしかすると、そのメンタルモデルのようなものの組み立て方が伝われば、これまでできなかった人ができるようになっていくのではないか。

これはもちろん何の根拠もないただの空想だ。だけど、それはとても魅力的な考え方だなと思う。これまで私は、ものすごく良い絵を描いたり、とてもおもしろい物語を考えたりする人のことを、自分は到底及ばない単純にものすごく優れた人たちである、と思っていた。何をどうあがいてもそのようにはなれないのだ、と。しかしそれが違うかもしれないなら、それは大変素敵なことだ。私にも、私が憧れるような思いつきができるかもしれない。この年からでも、まだ別の人のような考えを持てるかもしれない。そうであれば、まだまだ飽きずに生きていくことができる。




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