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2014年9月29日月曜日

たぶん私には能力がないのだろう


私ももうエエ歳のおっさんなので、若者のように慰められたくてとか、そういうことを言ってみることで予防線を張ろうとかそういうことではなくて、単純な事実として、俺はたぶん何も出来やしないのだなと思ったりする。歳を食えばそれなりにサンプル数も揃うもので、自分が作ってきた様々な絵だの文章だの動画だの、それ以外にも創意が活かされるべきものを顧みて、これは駄目だなと思う。
いや、私の作品が好きだと言ってくれる人はいるだろうなとは思うし、そのあたり自分がどの程度に大したことなくて、どの程度には人に楽しんでもらえるだろうという確信みたいなものもあるのだけど、それでもまあ、やはり大したことはない。
もちろんそんなことはうっすらと若い頃からは分かっていて、それでも案外人から見れば良いものだったりするかもしれないと考えたり、見るべき人が見てくれれば良いと思うかもしれないと考えたりして、割と希望を持っていたけど、それらはやはり根拠のない希望だったなと思う。
私には大した創意というものがなかったし、大した技術力がなかったし、努力も根性もなかった。

その事実をゆるやかに突きつけられて、絶望しているかというとそうでもないなと思う。これもおっさんになってから思うようになったけど、多少自分の人生にケチがついたって、思う人生と違ったって、思いもよらぬ瑕疵があったとて、死を選ぶのでなければ生きていかなきゃならないし、それなら楽しくやってけた方が良いだろうと思うので、なけなしの創意をかき集めて、なんとか自分で好きになれるようなものを作るという生き方もあろう。

以前にも書いたけど、プロになったり、ものすごく良いものを作るということが目的でも無ければ、創作の手軽な楽しみ方は自分の作品をとにかく好きになることだ。そうでなければ長く続けるのは難しい。最初のうちは新鮮さだけでどうにかなるし、次は上達の面白さで持つが、その先が続かない。強い自制心だの、職業にしてしまうなどで続けることが出来るなら別だが、そうでないなら自分の作るものへの採点を甘くして、好きでいることだ。
好きなものを作り出せるというのはとても幸せなことだからだ。

そして自分の作品を好きであるというようなことは。たぶん多くの人が思っている以上に能動的に行わなければならないことのように思う。どこで読んだ言葉かよく覚えていないけど、なぜあなたはそんなにアニメが好きなのか、と聞かれた外国のオタクが、それには好きであろうとする努力があるからだ、と書いていたのが心に残っている。そうか、好きでいるということに対して、能動的であっても良いのだと、そのときに思った。
今好きなものを大事にしたいなら、好きでいるための努力をすべきなのだ。
飽きないように、何も感じなくならないように、嫌いになってしまわないように。

私は自分の作るものをより好きになろうと思うし、作るときにはどうすればより好きな作品が作れるのかなと考える。そのように両面から、より単純にただ作ることで楽しく幸せになっていければ、それはそれでまた別の希望があるなと思う。