niconicoに動画を上げるのをやめた。
きっかけはごく些細なことで、私が前の動画で間違えたことを訂正したことに対して、先に「間違った情報を広めてすみません」というべきだ、というコメントがついたことだ。私は技術的な訂正に対して謝罪が必要だということを正しいとは思わなかったし、もやもやした気持ちになったのだけど、それでもそれにすごく怒ったとかいうことはない。Githubでバグの修正するときに「間違ったプログラムを拡散してすみません」とか書かなきゃならんような文化圏もあるのかもしれない。そんなのはバカげていると思うけど、そういう人もいるのは分からないではない。ただ、なんというか、自分が今居るのがそういう文化圏の中であり、また、ニコニコ動画ではそんなことに対して自分の意見をちゃんと言うことがたぶん無理なのだと思って、ふとイヤになってしまったという感じだ。
たとえば気安くて良い友だちだと思っていた奴らが、ファミレスで店員にすごく偉そうにしていて、そういうの良くないんじゃない? って言ったら、「なにそれ、優等生?」みたいなことを言われて、周りもニヤニヤ笑っているみたいな感じ。もはやその場では反論しても揉めるだけだろうし、たぶん反論したってわかってももらえないだろうみたいな、そんな気持ちだ。
ニコニコ動画に長文で反論なんてしたって誰が読むのか、実際読むのは関係ない第三者で、なんか必死になってる奴がいて嫌な感じだなーくらいにしか思われないだろう。また、言ったところで、そんなことをわざわざコメントしてくる人間に理解できるとも思えない。
適当にガマンして、無視して行けば良いじゃんとみんな言うのだろうし、きっとそうなんだろう。普段なら自分だってそうしたかもしれない。しかし、今回はたまたまそうじゃなかった。こいつと付き合ってて何かこれ以上面白いことあるのか? むしろこれから何回同じようなことをガマンするんだ? ここって全然俺の居場所じゃないし、めちゃめちゃ浮いてるじゃないか。そんな風に思い始めると、これまでガマンしてきたような欠点までまた目につき始めて、気づけば動画を削除するを連打していた。動画の制限が100M。埋め込みのプレーヤーが重い。投稿者コメントの改行が未だにタグとか打たなきゃならない。外部リンクすら貼れない。ああ、いやだいやだいやだ。
自分の動画で楽しんでくれた人が居たなら、それはとっても嬉しい。
自分の動画が何十万再生もされるなんて、考えたこともなかった。みんなが笑ってくれて、面白がってくれて、ものすごく嬉しかった。全自動スカートめくり機も、艦隊くりっかーも、ニコニコ動画に載せたから見つけてもらえたのだ。そもそもニコニコ技術部があって、まっくろくろいのさんが、アーケードPがいたから、技術を馬鹿馬鹿しいことに使うことが自分のやりたいことだと思えた。自分も彼らのように面白いものを作ったら、それは素敵なことだと思ったのだ。事実それは愉快なことだったし、家族くらいしか知らなくても(全自動スカートめくり機なんて誰に言えるというのか)、それは私の密かな自慢でもあった。本当に楽しかった。
だから、ニコニコ動画が悪い場所なのだとは思ったりはしない。ただ、自分も年をとった。私の前にはもはや無尽蔵の時間があるわけではなく、本当に自分が何をしたいのか、どのような場所にありたいのかということについて、ちょっと無理して付きあおうと思えなくなったのだ。
もっともこれからもYoutubeには動画を上げるし(今までの動画も残ってる)適当にやっていくつもりではある。ただ今までより、ちゃんとその存在が認識できる誰かに、楽しんで欲しい人に向けて、静かにやっていくのだろうというだけの話だ。