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2017年10月1日日曜日

嫌な思い出と別れた

誰だって過去を思い出したら恥ずかしくなるような思いとか、あいつ許さないと思う屈辱とか、涙が出るような辛い思いを抱えていて、折に触れてそれを思い出して憂鬱になったりするもんかなと思う。すくなくとも自分はそう。
ただ、つい最近、同じようにそういう思いが心をよぎったときに、ほぼ何の気なしに、「まあいいや、どうせ一生会わないし、許すわ」と、そんな風に思ってみた。そうしたら、その記憶が急速に自分の中で風化してくのを感じた。多くの、普段は思い出すことのない思い出に並んで、記憶の中に埋没していった。思い出すことは出来るけど、他の過去と同じく、手触りや痛みを伴わないただの記憶になった。
あるいはそう思えたこと自体が自分の成長とか、傷の風化があったからだ、ということなのかもしれない。ただ、それから他にも思い出したくないことを心から引き出しては、「いやいや、別に良いや。どうでも良いことだよ。こいつも多分悪気なかった」とか、「嫌な奴だと思ってたけど、楽しかった瞬間もたぶんあったよな」とか、実際のところ今でも、まったく心にもないことを、おまじないのように唱え続けていたところ、どんどん嫌な思い出が減っていくのを感じる。

単なる推測でものを言えば、ああいう、折りに触れて嫌なことが蘇るのは、それを脳が「重要なことだから忘れないで反芻しなければ」と感じているからではないか。たとえばふぐを食べて死にかけたとか、熊の巣に入って食われかけたとか、そういうことは嫌な記憶だったとしても、決して忘れないように記憶の先頭の方に並べておく必要がある。そうしておけば、次に魚をとったときに「これはふぐではないか?」と考えることが出来るし、穴を見つけたら「まずクマを確認しよう」と思えるからだ。
強い感情は、それだけそれが重要なことだった可能性が高い。だから、その記憶に同じ感情を覚え続ける限りは、どこまでもそれが残っていくのではないか。
それならば、それがもう必要ないということを心に命じれば良い。
強い感情を持たないようにして、穏やかに、すげーどうだっていい話だと思いこめば良い。

実際のところ、どうだって良いことだったのだ。
あるいは真剣にどうでも良くないことも含まれているが(残業代1円ももらえなかったとか)それを自分の心に深く打ち付けておいても、もはや何か変わりようがないということでいえば、どうだって良いことだった。
あんまり嫌なこと忘れてしまうのも、自分の人格形成とか、生き方としてどうか、という気もするが、今や完全にオッサンと呼ばれるような歳になっている。いつまでも若い頃の辛かった記憶を引きずって行く必要もないだろう。
図太く生きよう。