そうしないとどうなるかというと、私は早晩創作活動を辞めてしまうだろう。小説がそうだ。私は二十代の前半にものすごく真面目に小説を書けるようになろうと頑張っており、毎日原稿用紙何枚も文字を書き続けたが、上手くならなくてはならない・今はそうではない・この状態に甘んじてはならない、という意識から自分の作品を好きにならず、むしろ嫌いになり、気づけば手が動かないようになって今や全く書けなくなってしまった。何年も経ちだいぶやわらいだとは言え、今でも書こうとすると不快感を覚える。人は嫌なことはできない。よっぽどの精神力でもなければ無理だろう。何十時間もかけた先に、納得できないという失望が待っているということが体に刻まれてしまうと、もう能動的にそれをやることは不可能になる。
好きになることはそうではないが、そうあり続けることは、努力も必要になってくる。そうでなければ、なんとなくこれ飽きたなとか、何度も見ると粗が見えてきたなとか、昔は良かったとか、そういうことを感じ始める。自分の作品なら余計にそうだ。ちょっと技術力がついたり、そこそこ出来るようになってくると、自分が如何に出来ないかを理解できてしまう。そういうときに油断して、好きになる努力を怠っていると、すぐになんだこのクソの山は、と自作を嫌いになってしまう。
そうなると、仕事で強制的にやらなきゃならないとか、何らかの理由がなければ、あるいは強い強い精神力や目的意識でもなければ、なんとなくやっているというだけであれば、数時間かけてクソが出来るだけのことをやるやつはいない。
自分より良い作品を作る人が居る。
自分の技術力はほとんどないに近い。
そんなことは百も承知なのだ。
だからどうした、と思わなくてはならない。
そうであっても、自分の作品が大好きだと思う必要がある。
自分が好きなものを自分が作れるのは幸せだからだ。
もっとも、そんなことをせずとも、ごく幼いときから習慣のように創作活動をしていただとか、そもそも作業そのものがものすごく好きだ、とか、そういう人たちが居るのも確かだ。しかし自分がそうでないならば、そんなものを羨んでも仕方ないので、やっていくしかない。
良い絵描くなぁ、俺は。
*