ばかおもちゃ本店:Youtube twitter:@sashimizakana Amazon.co.jpアソシエイト

2016年1月30日土曜日

The Beginner's Guide感想

The Beginner's Guideをプレイした。
The Stanley Parableのクリエイターが作った作品で、あちらよりは遥かに短くあっさりとしていて、90分ほどで終わるし、より作家性の強いものでもある。わお、そんなものが出てたのか、じゃあやらなくっちゃ、という人はプレイしてくると良い。このあとに内容について触れるので。


この作品をそのまま受け取ればフレネミー(友達のように見える敵)の話だろう。語り手はCodaのことを勝手に解釈して、あいつは病気だと触れ回って、あまつさえ勝手に作品を改変して、それを人にやらせることで才能ある病んだ友人のことを心配する自分であろうとし、自分にない創作する力というものを友人にやらせて成果物だけを己の手柄として扱っている。Codaが悩んでいるのは創作についてのことではなくてお前が居るせいだと最後にははっきり言明されている。

そもそもゲームというのは作者が誰かにやらせるものであり、その中での体験というのは、作者が誰かに体験させようとしていることであって、作者が欲していることであるというような解釈がそもそも的はずれなのだと思う。

そのラインで考えると、わざわざCodaがやってくれと言ってきて、しかも最初にやらされたはずの版では永久ループになっていたあの掃除のゲームに深い意味があるのだという気がするが、これについては私はあまりピンと来ていない。この時点では別に語り手はまだCodaのゲームを改変して人にやらせたりまではしていないはずだし、なぜそんなもんをやらせてニヤニヤしてんだろうか。案外Codaは深い意味とか考えるよりはもっと単純に「ループしてるゲーム延々やっとるー!」くらいのお茶目な人だってことなのだろうか。

それから語り手がつけたのが街灯だけなのかということも気になる。私はなんとなく、街灯があるところ以降はすべて勝手に作ったのではないかと思ったりする。



もうちょっとまともに解釈的な話で言うと、Codaというのは作者自身のことであり、語り手は世間の声であって、芸術家である自分に対して踏み込んで来ようとすることへの拒否反応のようなものであるというようなことだ。ごく単純に面白さのために作ったものをやたらと深読みしたり、意味はなんだと問いかけたりし、自分の精神状態がゲームに反映されているだのと言いやがる。芸術ってのはそんなこっちゃないのだ。ただ作っているだけなのだ。黙れ。黙ってお前も作ってみろ。そんなところではないだろうか。

最後のステージは文脈からするとCodaが作ったものであるわけはなくて、語り手の心理の反映であり、そこで語り手が言う「いろいろやらなきゃいけないことがある」というようなことは、物を作り出したということだ。語り手は(この記事がまさに書いているように)批評的なことばかり言うのをやめて、創作を始めて、広大な迷路の中へと踏み込んでいく。奇しくも、Codaの最初の作品のように、天に浮かび上がり、足元のはるかな迷宮と、果てしない空の下でゲームは終わる。
これは創作者のための、The Beginner's Guideなのだ、と。

まあそういうこと書くと、村上春樹の文学評で呼んだ覚えのあるフレーズで表現すると、「ちょっとその見立てはイージーだと思うな」という感じかなという気もする。(たしかこれは作中の木が父性の象徴である的な評論についてのコメントで特にゲームの話は関係ない)。

もうちょっと踏み込めば、実際には作品というのは往々にして、それほど単純にはっきり比喩として表現しきれるものでもない。というか、それこそがこの作品のひとつのテーマであるとも言える。人の精神がそうであるように、作品は微妙に矛盾するような複雑な面を持ちえるし、他者への言及は同時に自己への言及にもなりうる。

実際のところ、最後の部分でちょろっと書かれているだけだけど、(Codaなんて人物が実際にはもともと居なかったとしても)最初のCodaの作品には街灯はなかったのだし、もっと意味は薄くごく単純で純粋なものだったのだろう。そこに街灯を立てたのは語り手であり、そのような明確な意味というのは、語り手が付け足していくようなものなのだという意味にもとれる。

もっとも、Codaは自己であり、語り手は他者であるというのは前述のとおりやや単純すぎる考え方で、実際のところCodaと語り手はひとつの人格としてあっても不思議ではないと思える。賞賛を得たいというのは誰でも持っていて不思議ではない気持ちだし、何かを作っているときに、ふと、これって自分が作りたいわけじゃなくて人が褒めてくれるからやっているだけだよな、なんてことを思ってイヤになることもある。昔はもっと純粋にものを作ることを楽しめたのに今はそうじゃないという風に考えることだってあることだ。芸術家としての純粋さみたいなものと、評価を得たいという気持ちはそんなに遠い考えではないのだろう。



ちなみにこのトレイラーもその仕込みの一つに入れてあるのだろうなと考えられて楽しい。ここで起動されてるバコバコ跳ね返される柱のステージには、実際のゲームにはあった仲良くなりたい有名な人みたいなものは存在していない。それからゲーム内に無かったフレネミーっぽいステージなんかがあって、適当に見てる限りENEMYの人が「GIVE US ANSWERS」とか「ARE YOU OKAY?」とかゲーム内の語り手が言いそうなことを発言してたりする。また途中のエクスプローラには2011年の6月以降のゲームもあるし、それは明確にCodaはその後も作り続けていて、語り手と絶縁しただけであるという風にも見える。

単なる想像だけで書けば、このトレイラーで見えているのは実際に昔このゲームの製作者が作っていたオリジナルバージョンであって、四角い頭の奴らと街灯を立てて、自分の試作に意味をあとづけてして、ひとつの作品に仕上げたのかもしれない。
だとすると、それはすげーイカすやり方だなと思ったりする。




若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋
売り上げランキング: 70,228


イージーすぎるぜ。