思い返してみると、私は厄介なやつとか、感じが悪いとか、一種昔の職人ぽさを持ってる人ってものが好きで、それは、自分自身がそもそもコミュニケーションが上手だと感じていないことからの共感というか、似たような人だから付き合いやすいみたいなことなのかなと思っている。
ただ、割といい年のおっさんになってみて、現状を振り返ってみると、自分自身はそれなりに器用にやってこれてしまっていて、全然自分は職人ぽくないし、普通の一般的サラリーマンみたいな感じのものになった。
なので、かような小賢しさみたいなのを持たない孤高の人は美しい、と思う。ただ人生経験積んでみると、感じ悪い人は実は内心が優しいみたいなことが常に言えるわけじゃないこともわかる。感じ悪くて、内心は優しくて口下手な人もいるけど、感じ悪くて、内心も腐ってる人も普通にいる。というか、感じよくて、内心は腐ってる人より全然多い気がする。
とはいえ、やはり自分は感じ悪い側に立つのである。たぶん。