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2016年6月6日月曜日

Webサービスを更新すること

niconicoを最近の子は見ない、みたいな言説を読んで、それ自体は何かデータがあるわけでもないマックの女子高生話みたいなもので考慮に値しない話だけど、単純に自分自身niconicoをイカすサービスだとは思っていなくて、そのことについて考えていて、なぜniconicoは改善されていかないのかとか、そもそもWebサービスはどのように改善されていくべきなのかとか考えていた。先に書いておくと、明確な結論があるわけではなくて、あくまで散文的な内容であり、論点も絞っていないし拡散していく。

niconicoの何がダセェかっていうような話は、ググれば掃いて捨てるほど出てくるので割愛してもよいが、軽く思いつくだけでもいくつも並べられる。動画の画質も容量もマイリスト数もNG登録数も回線速度も何もかもに制限があり、月500円払ってもそれらはやや緩和されるだけだ。些細なことなら動画の投稿者コメントにURLを貼れず、また強制改行のためにイマドキBRをいちいち入れなくてはならない。あるいはUIやトップページが使いづらい。
もっともそれらはサービスが開始された当時には、まあそんなもんだろうという感じでもあった。私が何が最もダメかって思うかというと、なにより、それらがさっぱり改善されないということに尽きる。まずいと思われる部分がいつまでも直らないというのは、サービスであれ、プロダクトであれ、死んでいるという感じがする。そういうものを使い続けるのは、気の滅入ることだ。たとえば職場でみんなが通る場所にくせぇゴミ箱が置いてあって、一日に一回は誰かがぶつかってゴミが撒き散らされているのに、それを自分には動かす権限がなく、それなのに誰に言っても改善されないような感じだ。しまいにゃ、ゴミ箱に張り紙をする。「ゴミ箱にぶつからないように気をつけましょう」。まったく気が滅入る。

だが、なぜniconicoは改善されないのか、ということで言えば、おそらくそれはそういう方針なのだろう。私自身、企業向けのWebサービスを作って飯を食っている人間であるから、日々たくさんの改善要望などに目を通し、改善しWebサービスを何年というスパンで直し続けている。しかし、それらの要望などを検討するうえで、しばしば気になることがある。
はたしてこれらを直すことで、どれくらいの儲けになるのか、ということだ。
すでにそれなりの顧客を集めており、継続的な使用が見込めるときに、開発費用をそれ以上かけるというのは、経営側からすれば単純に無駄と捉えられる。私自身は個人的な思想として、上述のようにちょっとしたことでも直し続けていかないと、利用者は不満を貯めて満足度を下げるものだと思っているし、また時代が進むに連れて他のサービスが良くなっていく中で、相対的にサービスが悪化していくということがありうると考えているので、かなり改善していくことには積極的ではあるが、「これを直していくら儲かるんだ」というようなことを問いつめられると、(うちではそんなこと言われないが)おそらくキツいだろうなとは思う。
niconicoが改善されないということについては、ただの推測でしかないが、そもそも改善したら良いかどうかというのは、ある程度出来上がったシステムにおいては、議論の別れるところであると思う。そもそもターゲットとするところとか、サービスの利用範囲やジャンルそれぞれで全く違う答えになるようなことですらある。

また、改善されないということについて言えば、2013年にGINZAになり、それが激しく批判された以来大幅な変更がないので、niconico自体に変化に対するかなり消極的な姿勢が出来てしまっているのだろうなと思う。何をやっても客は怒るんだ、じゃあもう何かやるのはイヤだ、というような感じ。
その気持ち自体は、私も開発者として分からないではない。とくにデザインや操作方式の変更は、単純な機能追加などと違って、文句を言われるのを避けて通ることは不可能だ。企業向けのサービスなら、先にデザイン案をだしたり、根回ししたりである程度軽減は可能だが、それでも何度も告知した内容についてそのときは何も言わないのに公開後に文句を言ってくる人が必ず居る。そういうことをやりづらい一般向けのサービスなら、それはもうすさまじいものだろう。

意見の中には、単純に使い慣れたものが良いからそれに戻せとか、一回自分が押し間違えたからこのデザインはダメだくらいのレベルのものもあり、冗談だろという気持ちになることだってある。誹謗中傷に近い意見をぶつけられたら、誰だって傷つくし、その意見を受け入れることは自分への攻撃を肯定するようで辛いことだ。
ただ、いちおうオッサンになるまでこの仕事をやっていて思うのは、そういう意見も、それを感じたという事実は避けがたいということだ。どういう風に直せなどという意見はほとんどの場合何の訳にもた立たないが、その人が「何かに困った」という部分は本当のことなのだ。だから、開発者はその困った事実を、どうやって他との折り合いをつけて良くするかを考え無くてはならない。これは開発者以外には出来ない作業だからだ。「このボタンをこっちにつければええんや!」というオッサンは、他の画面との統一性があることでの利点や、開発や保守上の工数については知らない。しかしオッサンはたしかにそのボタンが今の位置あることに困っているのだ。
だから開発者は統一性だの、保守性だの、開発工数だの、面倒くさいことを大量に前提に置きつつ、本当の解決策を探さなくてはならない。それが仕事である。もちろんどうしても良い解決策がなく、現状維持が一番マシとなればそうするのも選択であるし、現状のniconicoがそういう選択の結果なのであれば、もはや言うことはない。

まあ保守さえやってりゃ、いまでも2ちゃんねるに書き込んでいる人がそれなりに居るように、niconicoもあんな感じで存続していくんではないだろうか。



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