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2013年4月2日火曜日

旅をするゲームとか小説とか

水曜どうでしょうが好きだ。
好きなところはいっぱいあるけど、くだらないことを言いながらひたすら移動していくところが良い。旅というのは、とにかく移動なのだということは至極当たり前の話なのだけど、テレビなんかでは移動の部分はばっさりと切られてしまうことが多くて(観光案内なのだから当たり前だけど)、なかなか旅をしているような気分になることはない。

ゲームでも昨今は良い部分ばっかりが連続してくるようなものが多くて、それはそれで面白いのだけど、そういうものをやったときの印象っていうのは遊園地でジェットコースターに乗っているみたいだ。息をつく暇もなくて、気づけば終わっている。
面白くない部分を潰していくというのは、方法論として実に正しいと思うのだけど、機能上必要なつまらない、というか動かないような部分というのもある思う。そんな話を聞いたことはないし、どんな物語作りの解説書なんかを見ても、あるいはヴォネガットさえ動かない部分は要らないと言っているけど、私はそういうものが実のところ必要なのではないかと思っている。

動画を作っていても、面白いとか良く撮れた部分だけつなぐと、どうにもひっかかりのないものになってしまうことが多い気がする。場所さえ間違えなければ、ある程度停滞する部分があった方が、なんとなく良いような気さえする。

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例として適当かどうかはかなり難しいけど、犬は勘定に入れませんを読み終わるときに、本当に自分も一緒にボートに揺られていた旅が終わる気がするのは、もちろんコニーウィリスの筆力に依るところが大きいけど、あの本の長さ(と川下りをしている部分の長さ)が一因になっている。

長々しいことは必要となることもある。

それはデッカイ絵の方が小さい絵より迫力がある、みたいな単純かつ物量的な話だ。
飽きられるのはまずいけど、飽きられずに長いこと付き合わせられるなら、一瞬で終わるものより、長いものの方がより人の心に残っていることができるような気がする。

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オブリビオンの続編のスカイリムが行ったことがない場所には一瞬で移動できなくなっているのも、きっとそんな感じの理由なんじゃないかと思う。実際の所、オブリビオンは瞬間移動ばっかり使って遊ぶより、延々と山を越えて、鹿をおっかけて、カニに襲われて、川でおぼれ死んだりしながら移動していった方がずっと体験として素晴らしいものになるし、本当に旅をしているみたいに感じる。
もっとも、私は怠惰なので、ついつい瞬間移動をしていってしまうのだけど。

私が一番最初に、旅をしているみたいな気持ちを味わったのは、英雄伝説 白き魔女だ。

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もちろん私がやったのはPSP版じゃなくて、今は亡きPC98のオリジナル版だった。
その頃私は小学生だったし、今やっても同じように感じるのかはかなり疑問だけど、とにかく白き魔女は道のりが長かった。町でいろいろなことが起こって、それが一段落したら、また次の町まで延々と歩くことになる。一本道で、ただ次の画面に進んでいくだけなのだけど、この当時のものとしてはかなり珍しく、マップは同じチップの繰り返しだけじゃなく、地域ごとに木の種類や地面の色も変わり、ひとつの章の終わりには、主人公やその関係者がどのような経路で町を移動しているのかが示される演出もあって、本当に旅をしているような気がした。
ほぼ最悪のバランスの戦闘(PSP版では直ってるらしいが)のせいで何十分も延々鳥に崖の下に落とされ続けたりしたのはかなり苦い思い出だが、それ以上に良い思い出として強く印象に残っている。
カットシーンを一切入れず、キャラのドットアニメーションのパターンをかなり豊富に用意して、すべてがひとつの画面内だけで完結するようにしていたり、今思えばかなり明確にプレイヤーにゲームの世界に没入させようという意図のあった作品であるように思う。

途中から単なるゲーム語りみたいになったが、ともかく旅をしているとか、時間の経過を感じさせるには、実際に時間を経過させることがそれなりに重要なのではないか、過去を思い出せばいつでもすぐそこにあるように、人には今流れている時間以外を実感することはできないのだから。